月曜日, 4月 09, 2007

Madridは雨。

山から帰ってきてここまで、Madridは天気が悪いです。

Sunny-Shiny Madridを期待して帰っては来たものの、気温も上がらず、今日はまた雨。
太陽よ、どこへ行った?

昨日は友人Eさん夫妻とクリント イーストウッド監督の映画、『硫黄島からの手紙』を見てきました。全編日本語でスペイン語字幕。ちなみにスペイン語のタイトルは『La carta de Iojima』です。

アメリカ側、日本側、双方から見た硫黄島の戦闘が描かれている2部作のうちのひとつ。舞台は61年前の硫黄島。栗原(本当は栗林)陸軍中将、戦前のロスアンゼルスオリンピックで馬術金メダルを取った西中佐、それから召集令状で戦闘員として招集された西郷。。それぞれの視点から淡々と戦闘の様子や心理が描かれていました。西郷が召集令状を受け取る回想シーンで、近所の婦人会の奥様方が、西郷に向かって’おめでとうございます、お国のために。。’というせりふで、一部のスペイン人の人たちから笑いというか、苦笑にも似た笑いが漏れたのが印象的でした。こちらの人たち、には戦争に連れて行かれるのに’おめでとう。’という状況が理解しがたいのだと感じました。実際に今の私としても、反省も込めて冷笑してしまいます。でも、あれが当時の現状だったんだと。

硫黄島は小笠原諸島の南西、1945年、太平洋戦争末期で本土空襲への一拠点としてアメリカ軍に確保されてしまったら、日本の制空権は完全にアメリカ軍に握られてしまうと、日本軍が必死に守ろうとした島。上陸したアメリカ軍の海兵隊員7万五千人あまり、対する日本軍2万9千人あまり。壮絶な戦闘の結果、アメリカ軍の死傷者2万5千8百人あまり、日本軍2万数百人、このうち餓死、病死者が1万9千人以上。。。半数以上が、餓死や病死で命を落としてしまったのです。* (*半藤一利著『昭和史』参照。)

映画には餓死の様子などはあまり描かれていませんでした。むしろ、本当に淡々と、監督の意図だったと思うんですけど、本当に淡々と戦争の様子が描かれて61年後の防御壕発掘調査にもどるという展開でした。

今週はなんだか、『昭和史』を読んだのをきっかけに、日本と私を改めて考え直す機会の多い1週間でした。

雨も上がったことだし、気を取り直し、あれから62年たった欧州スペインで、明日からのケースを予習します。

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