木曜日, 8月 30, 2007

新入生来る。

わがIEのInternational MBA2008新入生であるMさんが昨日マドリードに到着。今日学校で待ち合わせて早速お昼を食べました。昨日到着したばかりで今日お昼って言うのは、結構きつかったのかな。。ごめんね、センパイ、無理につきあわせちゃったのかな。

学校の勉強の話に至ると、’緊張してきました’という彼女。すばらしい。。。あの初々しさ、私のはどこへ言ってしまったんだ?あれ?私に初々しさなんか最初からあったのか?(笑)

私は去年の今頃、まだまだ働いてました。前職場で、ひーひーいいながら。。
そしてスペイン語コースのことなど、考えることもできないほど忙しい日々、そのまま結局11月の初めまで、マドリードに来ることもできず。

とはいえ新入生の皆さん!これから、先は長い。最初から飛ばしすぎてもあとでばてちゃいけないので、とりあえずこれから2ヶ月はスペイン語、がんばってね。一旦本コースが始まると、とてもじゃないけどスペイン語の勉強なんか、できません。

2008年度は合計6人?ほど日本人の学生が入学するそうです。すごい、一気にAlumniが増えて、日本でのIEの知名度向上、間違いなしか?。。みんな、がんばろう。

火曜日, 8月 28, 2007

スペインのおばちゃんたち。

この間街の散策に出かけた際、バスを待つ間ににちょっとした人間 Watchingをして気がついたこと。スペインのおばちゃんたち、面白い。。

どこの国でも、おばちゃんたちには独自の共通点があって、その共通点国を問わず見出せることもいくつかあるんだけれど。スペインのおばちゃんたちに共通しているのは、’みんな出かけるときはちゃんとした格好をしている’ということ。別に高い服というわけではなく必ずスカート、ワンピース、ジャケットを羽織っていたり、ジーパンなんか決してはかない。スニーカーも絶対はかない。そしてちゃんとペディキュアまでして、外出の際の服装には’ちゃんとしよう’という気合が見られます。洋服の色はもちろん明るいけれど、形というか外出着としてはデザインが保守的なものが多い。

で、おばちゃんたち。バス待つ間に出会った2人。何を話しているのか、想像の範囲でしかなかったのですが、どうやら他愛もなく、延々と’何番のバスはどこへ行く’、'何番のバスはまだこない’、’あそこへいく’、'ここへ行く’という話を世間話口調でし続けていて、次々現れる見知らぬバス待ちの人たちに、’何番のバスはまだ来ないよ’、とか、’どこ行くの?’とか話しかける。そして笑えたのは、その見知らぬ人に、’あ、それなら何番のバスがいい’、とかアドバイスしてあげて、当のバスがきたら、自分の乗るバスはそうじゃないのにつられて乗りそうになってしまう、で、つれのおばちゃんに、’どこいくのぉおおお~’とか叫ばれて。。

あー、面白い。。
そういえばスペインの人、バスに乗っている間、運転手に話しかけて世間話してる人とか多いんだよね。。

と、ある意味愛すべき人たちです。

土曜日, 8月 25, 2007

シーフードレストランを探してみよう。


今日のMadridはどんより曇り空。珍しく湿気も多くて気温は多少高めでした。

午後明日の来客に備えてあまり行った事のない、Plaza de Castilla付近の散策に出かけました。
Plaza de CastillaはMadridの北に位置していて、オフィスビルやHub駅のChamartinがあるあたり。

友人Rさんに色々ご指南いただいて、おいしそうなレストランの候補をあげてもらったり、自分でも調べて出かけてみました。こんな風に、レストランの下見やら、食べ物に興味を持って私が出かけるってことはあんまりないのですが、あまりないだけに自分でも珍しいことだと思いつつ。何せ私、食べることはもちろん好きですが、なんていうかこう、珍しい食べ物やらおいしいレストランやらに率先していくほうではなく、むしろ庶民的な味を適当なところで求めたり、(それは自分でも作れるんじゃないの?ってものとか。。。)、地域の料理というよりは自分の中で好きなものリストが決まっていて、そのリストというのも、ベトナム料理のフォー、カツどん、ラーメン、カレー、焼肉、豆腐、鍋、というのが定番で、あとスペインに来て加わったPimientos de Padron, Patatas con Huevo(ジャガイモと卵をいためたシンプルなもの)と、外で食べるときはこの中のものどれかを食べていることが多い。。
しかし、同じものばかり食べに行っても面白くないので、今回は違う目で色々と散策してみました。
目指していたレストランはお休み、でも開いていた別のシーフードレストラン、ここもなかなか雰囲気が良く、しかし明日の夕食時はお休みとのこと。しかしそのレストランで紹介してくれた別のレストラン、よし、これも見に行ってみよう、ってなわけでそこからさらに北に約15分ほど歩き、El Telegrafoに到着。
なかなか雰囲気もよく、おいしそうなえびが並んでいたのでここに決めた!と相成りました。

Madridにはいろんなシーフードレストランがあるんだけれども、よさそうなところは日曜日休みだとか、夏休み中だとか、そんなんばっか、しかも私自身がそんなシーフードレストランだなんて、基本的に行ったことながいんで、選び出すのも一苦労でしたが、ここはひとつ、足で稼ごうというわけで、来て見た甲斐があったかも。って、実際まだ食べてないからまだリスクはあるけどね。でも、スペインのことだ、そんなに大失敗ってことは、まずないでしょう。

と、レストランとは全く関係ないけれど、散策途中で見つけた、とても立派な教会の写真を添付。かなり古そうな建物ですが、詳細不明。


水曜日, 8月 22, 2007

ついこの間まで167円とかつけてたユーロが。

本日の東京外国為替市場、円相場は1ユーロ=156.17-21円で取引を終えたようですが、といってもついこの間まで167円代後半だったユーロ、この円安、このままどうなってしまうんだ?と思いきや、あれよあれよという間に10円以上も円高に推移。こんなに短期間に円相場がこれだけ動いたこと、過去にあったっけ?私のおぼえている限りなかったのではないかと。

それにしてもホント、アメリカのサブプライムローンが小口債権化されていた商品、世界中で相当な投資が動いていたということなのね。日本の金利が低いところ、日本で借りたお金をドルにして投資するという円キャリートレードが活発化していたもの原因だった円安、サブプライムローンの焦げ付きが問題となったとたんに円キャリートレードをやめて円を買い戻す動きが活発化、その結果の円高。
と、書いてみるとなんだか簡単な気もするけれど。。何度聞いてもわかりづらいね。

ちなみに、大前研一氏のコラムによるとサブプライムローンの焦げ付き額は
なんと軽く見積もって30兆円!>>これは長野県の予算の30倍??、ってことはこれだけのお金があったら、長野県民軽く30年は無税金で暮らせる、おつりがくるかも、補助も出たりして。。ぐらいな感じだろうね。

大前氏の警鐘を鳴らすコラム、興味深いです。Eさん、リンク送ってくれてありがとう!
あわせて以下、サブプライム問題関連の記事。
http://www.ohmynews.co.jp/news/20070820/14203
http://forward.enjyuku-investudent.com/archives/2007_08_post_28.html
http://www.nikkeibp.co.jp/sj/2/column/a/93/index2.html
http://www.nikkei.co.jp/news/main/20070822AT2M2203G22082007.html

今日はなんだか、MBAの学生らしい話題でした。。

火曜日, 8月 21, 2007

風がとても優しくなってきました。

今週に入り、めっきり涼しくなったMadrid.
8月も後半に入ると、こうも違うものかと思うほど、風がだいぶ優しくなってきました。
相変わらず雨は降りませんが。

もう秋なのね。
そうして夏休みが終わっていく。そろそろMadridにも活気が戻るのかな。

さて私も、うかうかしていられないですね。

土曜日, 8月 18, 2007

休むといったら休む、スペイン人の心意気。

8月のMadrid, 街は半分死んだようです。というのも、多数の小売店が8月中ずっとお休みしているからです。

この人たちこれで本当に商売になっているんだろうか、と、こっちのほうが心配になってしまいますが、ひとつの理屈としては、’みんなで休めば怖くない’とでもいうのか、みんな一斉に休んじゃえば、お店に来るお客さんもどこかへ行っているわけだから、店を開けててもしょうがないってところなのか。

それにしても、’休むときは休む’というこのスペイン人の心意気。日本も多少見習うべきなのかなぁ。。どうなんだろうか。

木曜日, 8月 16, 2007

ペルーでの大地震

15日に起きたペルーでの地震、今日までに死者の数が300人以上になったとのこと。私と同じクラスのペルー人の仲間、それからほかのクラスのペルー人の仲間とご家族は、大丈夫だろうか。とにかくメールしてみたけれど。。無事であることを祈っています。

地震国日本出身の私としては地球の反対側での出来事とはいえ人事とは思えません。ペルーには日本人の人も多いしね。

最近本当に世界各国で異常なことがたくさん起きていて、やっぱり不安になるね。
日本では最高気温40.9度を観測、でお年寄りの方が熱中症で亡くなっているとか。。
スペイン、南部じゃ軽く40度超えちゃうときもあるけど、こちらはなにせ乾燥しているからまだ何とかなる。。ものの、日本のあの湿気の中40度を越えたってことは、相当体に負担がかかるということ。
。。。大変だぁ。。
それともこれも、方丈記のごとく、行く川の流れの中、世の中は無常であるということなんだろうか。
と、悟ったようなことを言っている場合ではありません。
とにかくみんなの無事を祈ります。

火曜日, 8月 14, 2007

いか焼きのにおい。

本日午後、近所の部屋からなにやら懐かしい?というか、Familiarなにおい。まさに、’いか’を焼いているにおいがしました。

スペインの人はいかを食べます。ご存知、Calamari(カラマリ)これはいわゆるイカリングから始まって、にんにくいためなど、結構いけます。

でも今日のにおいはまさに、’網焼き’ににでもしているかのようなにおい、香ばしく’お?するめ??’と思わせるようなにおいでした。

しかしスペインには’肴はあぶったいかでいい’というような文化はなかったはず。。(笑)
でもあれは絶対にあぶっていた。まじで。

実際のところ、どんな料理にして食べてたんだろうか。気になるところ。

日曜日, 8月 12, 2007

マドリードはいつ首都になったのか。。

ともう一度スペインの歴史についてしらべてみました。

スペインの首都が始めて確定したのは、1561年、フェリペII世の統治下。彼はカルロスI世=神聖ローマ帝国皇帝カルロス5世の息子で、1556年に即位。このときカルロスI世から広大な土地に加え、莫大な借金も相続したため、1557年最初の破産宣告をしたそうです。

それはともかく、フェリペII世は当時のカスティーリャ王国、アラゴン王国、両王国の国王としてマドリードに宮廷を置きここで初めてスペインの首都が確定したということ。と、つまりはそれまでは’スペインの首都’というものは存在せず、それぞれの王国において主都市があったものと。カスティーリャ王国にはトレド、アラゴン王国にはグラナダ、かな。

なるほど、スペイン。
しかし、日本から持ってきた山川出版の『詳説 世界史研究』には、ほかのヨーロッパの国に比べて登場頻度が少ない。。イスラムの支配が長かったからか、なんなのか、15,16世紀に至るまで西ヨーロッパの表舞台にあまり顔を出してこないのね。。と、そんなことないのか?

とにかくマドリード、スペインの都市としては新しいのです。

土曜日, 8月 11, 2007

それぞれの夏休み

今日夕方、学校から少しはなれたカフェに行ったところ、隣のクラスの友人に会いました。彼は来る就職に備え、インタビューに関するノウハウの書いてある本を読んでいました。コーヒーを飲みながら、お互いの情報交換をしたところです。

彼と別れて家に向かって歩いていたところ、今度は同じクラスの仲間4人が街角のバーの外席でビールを飲んでいたので、そこにJoin. ベネズエラ人の友達二人、インド人、メキシコ人の友達。それぞれの夏休みの話から、わが学校に関すること、ほかの仲間がどうしているかなど話題に。特にインド人の友達は本当にバイタリティーのある人で、マドリードに来て以来着実にネットワークを広げてきたよう。本当にたくましいなと感じます。ベネズエラ人2人とはよく一緒に勉強した仲間なので気も合います。そのうち1人は明日ベネズエラに里帰り。気をつけてねいってらっしゃい!と別れてきました。

みんなそれぞれの夏休み。
いろんなところへ旅行へ行っている人、インターンをしている人、スペイン語の勉強をしている人、などなど。私も私の夏休み。プロジェクトと就職活動の夏休み。(笑)

9月になって、みんなとまた再会です。

木曜日, 8月 09, 2007

多少すごしやすくなってきました。

日曜日に雨が降って以来、暑さのピークが少し過ぎたのか、ここマドリード、気温的にもすごしやすくなってきました。いまだに乾燥しているけど、午前中はさわやかな風だし、午後3時から8時ぐらいまでの間を除けば外でも気にならないくらい。日のあたる場所と、日影の温度差が大きい。日影にいるとほっとします。

もうすぐ日本もお盆。私の生まれ故郷、某山岳地帯はお盆を過ぎるとすっかり秋の気配となりますが、マドリードもそうなのかな。さすがに’お盆’って感覚はないけどね。。

8月15日は毎年恒例、某湖大花火大会。今年も友人Wさんがなにやら花火見物企画を立てているようです。見に行けずに残念、またらいね~ん、って感じかな。

水曜日, 8月 08, 2007

アストンマーチン好気配??

というGoogle Newsに掲載されていた新聞の見出し、え?アストンマーチンが北九州で売れているの?何で??。。。と、よく見てみたら、’アストンマーチャン’の間違い。。馬の名前でした。。なんだよもう、まぎらわしいなぁ。馬主の人がアストンマーチン好きなのかなぁ。。(笑) ’キタサン。。。’ってついてたら、ああ、北島三郎が馬主なんだなと、一応わかるけど。(なんでわかるのよ。)

そういえば昔、’メロンパン’って馬もいたよね。まだまだほかにも、面白い名前の馬、いるんだろうね。

このアストンマーチャン、’完全無欠のスプリンター’で、3歳牝馬短距離界に新風を巻き込む可能性大だそうです。来年に向けての有力株?

がんばれ、マーチャン!

欧州就職事情

夏休みに入り、就職活動を始めています。とりあえず思いつくところからCVを送り始めました。

私はイギリスでの職務経験も活かし、もうしばらくヨーロッパで経験をつもうと思っているので、こちらでの就職先を探しています。
といってもいきなり労働ビザのない私なので、そう簡単にはいかないでしょう。EU内で比較的ビザの取りやすいところといえばやはりUKですので、あちらに戻るのが現実的なのかも知れないですが、今のところはドイツ、オランダ、スイスでの職からあたり始めているのです。うまく説明できないですが、UKに戻りたいという気持ちがどうしても起きてこないので。。

とまあ、あまり贅沢も言っていられないのだけれど。

さてとにかく行動あるのみ。がんばります。

日曜日, 8月 05, 2007

1300隻 56万人。

突然ですが、最近、ニコニコ動画にアップされていた、NHKスペシャル、『映像記録史 太平洋戦争』というのを見て、改めて驚いたこと。

1945年4月1日沖縄に上陸した連合軍の兵力、56万人。

昭和15年当時沖縄県の人口は約57万4千人。その沖縄県の人口とほぼ匹敵するだけの連合軍が、小さな島に上陸したわけです。56万人って、改めてものすごい数だと、言葉を失いました。

そして周知の通り沖縄の普通に生活していた人々がみな戦争に駆り出されました。犠牲となった人の数、およそ12万2千人。

その4ヵ月後の8月6日、そして8月9日広島、長崎への原爆投下、2つの爆弾でその年の内に亡くなった人の数30万人以上。

記録や、人々の記憶が示している通り、これらの人々の死は、当時の軍部の全く稚拙な世界観、分析力のなさ、情報力の欠如、つまらない意地、誇大な驕り、踏みとどまる決断力の皆無さ、政治家の全くの力のなさ、のために起こった事です。

でも今の日本は、そのことを’仕方がなかった’と言ってしまう閣僚を擁してしまうような与党が政権を握っているわけです。あの発言は直接には広島の原爆投下についてだったようだけど、日中、太平洋あわせて300万人以上の人々が失われたことに対しても、同じ理屈を通すに違いない発言だったと思います。死力を尽くして避けようとする努力もしなかった上に、結局アメリカに、’原爆投下は日本が自分自身で招いた、早期に戦争を終結させるために致し方なかった’と、言われてしまい、戦勝国の論理だけがこうしてまかり通ってしまうのを、許してしまう結果になってしまっているわけです。
どう考えてもやはり、一瞬のうちに10万人以上の、何の関係もない人々の命が奪われた上に、’仕方ない’と言われ、その後そのことに対する制裁がなかったというのは、おかしいと、思います。
今思ったところで、何にもならないけれど、せめて忘れないように、日本人として知っておくべきことは知っておこうと、いえることはいえるようになろうと、思うわけです。

金曜日, 8月 03, 2007

こんな桃があります。


ブログのデザインを変えてみました。夏らしく(そうでもない)、さわやかな配色に。。?

さて、スペインにはこんな平たい桃があります。
ここのところ数ヶ月お店に並んでいて、見るたびに’なんじゃこりゃ?’と思っていたのですが、食べてびっくり、これがまたおいしいの。1kg 2ユーロちょっとかな。。そんなに高くないし、夏の栄養補給にもってこい。ちょっと皮むくのが難しいんだけど、そこはそれ、何とか工夫して食べてます。日本でもこの平たいもも、売ってるらしいけど、 何でも聞いたところによるとめっちゃめちゃ高いって?? そんなに作るの大変なんだろうか。。

今のうちにたくさん食べておこう。

で、あんまり色が良くないですけど、写真添付。

木曜日, 8月 02, 2007

戻る気になりゃいつでも。。。拝啓 阿久 悠さま

しかし、沢田研二が歌った、’勝手にしやがれ’っていのうは、ほんとに名曲だよね。そういえば、レコード大賞とったもんね。それから、’北の宿から’、’雨の慕情’、’津軽海峡冬景色’。'あの鐘を鳴らすのはあなた’は、友達の結婚式で歌いました。'UFO'も、’笑って許して’も。。。。日本中で何万回、何千万回とカラオケで歌われているであろうこれら名曲の数々、みんな、作詞、阿久悠。
私が尊敬してやまない大作詞家の阿久悠さんが、なくなってしまいました。月並みですが、ショックです。

私達の世代は特に、阿久悠の詞を聴いて育ったというか、彼の作詞した歌を聞かない日はなかったというか、あの歌謡黄金期にレコード大賞5回受賞している作詞家って言うのは他にいないんじゃないかな。そして今でも多くの人が口ずさむ。
音楽が半ば消耗品化しつつある今日この頃、いつまでも耳に残る歌っていうのは本当に少ないんだけど、阿久さんの詞の歌の多くは、今でもふと、自然に口ずさめたりするんです。
そう、私の好きな’デビルマンの歌’も、阿久さんなのです。。

あー、日本語はなせてよかったな、っていうか、日本語だからこそこんな言い回しもできるんだなと、改めて思わせてくれるような詞でした。
舟歌とかね。。。

私はこれからも阿久さんの詞を歌い続けていくでしょう。

ご冥福をお祈りします。