金曜日, 12月 29, 2006

マリーアントワネット(の先祖は)スペインハプスブルク家と親戚だよね?


そういえば、あまりの暑さで2000人(公式発表)の死者を出していた2003年の8月、私は友人Rさんと何度目かのParisを訪れていました。なんせ石ばっかりのこの街。熱が逃げる場所はせいぜいセーヌの流れぐらい。あまりの暑さで私達二人とても無口でしたが、それでもParis。シャンゼリゼからコンコルド広場へ、Invaridが川の向こうに見える場所での彼女の言葉。’コンコルド広場って、マリーアントワネットがギロチンで処刑されたところだよね。’ 私、’え?そ、そうだったの?まじ?’ 彼女、’そうだよ、ルイ16世も、ここでみんなギロチン。’ 無知の恥をさらしている私に彼女、’だめだよ~。ベルばら読まなきゃ。’。。。あ、そうでした。。(笑) マリーアントワネットは処刑されるまでコンシェルジュリー牢獄に幽閉され、そして1793年10月、コンコルド広場でギロチン台に膝まずかされたわけです。


と、その頃スペインは?というと、スペインハプスブルク家の断絶、すったもんだの王位継承戦争、イギリスにジブラルタルを分捕られる、など低迷しつつ、カルロス3世の治世にいたっていたと。

で、このスペインハプスブルク家。元はと言えばオーストリアのハプスブルク家からの分家?血を分けているわけです。マリーアントワネットはオーストリアハプスブルク家でオーストリア(など)王女マリアテレジアの娘。てことはマリーアントワネットの先祖はかつてのスペイン王家と親戚だったわけだ。


と、大きくくくりすぎ?

どなたか、この辺また詳しくご講義いただけると有難い。


いつ来ても、こんな街、他にないよなぁ~と思わせるParis。街並みといい、美術館の充実度といい、Parisそのものがフランスの財産で、この街がもたらしている観光収入は世界でも群を抜いているんじゃないかと思うわけです。それにしても年末のParisは寒い。。。。


Musse d' Orseyから見えるモンマルトルの丘を添付。

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