火曜日, 1月 23, 2007

拝啓 本田宗一郎さま

本日のStrategic ManagementのCaseはHondaの創成期、戦後本田技研の設立からアメリカバイク市場への進出でHondaがどのような変遷をたどったか。成功の鍵はなんだったかというDiscussion.

CaseはHarvard Business Schoolが1989年にReviseしたもの。(まあ、Case自体古いんですけど)
成功の鍵となる点はいくつかCaseに出ており、クラスのみんながそれをあげていくわけですが、私は、’まず日本が戦争に負けたことが重要な要素として働いているんだということ、そして円の固定相場360円という状況だったことがプラスに働いた’という意見を述べたわけです。でもProfessorには、’それは状況としてあったわけだけれども、Hondaが具体的にとった戦略からははずれるよね’的なことを言われ、まああまり本題の’Strategic Management'と外れてもいけないので、それ以上のことは言わず、授業後同じクラスの日本人TさんとProfessorに掛け合いに言ったわけです。Tさんも同じく、納得がいかなかったので。

確かにこのクラスは’Strategic Management'。趣旨は’各企業がどのような戦略をとり、どういった優位性を勝ち得ていったか。’そして実際に自分たちが経営の場に立ったときに必要なレシピなり、とりえる戦略のリストなりを学ぶ、というもの。
それにおいてHondaがアメリカ市場でどう戦ったかを客観的に分析するのはわかる。実際大成功を収めたわけだから。で、最初からHondaになにか戦略があったのか?という問い、答えは’戦略はなかった’けど’状況にあわせて製品ラインナップや生産性の向上、傾斜コスト、そして幅広い広告宣伝と確固たるディーラー政策’などを取り入れ、シェアの拡大を図ったと。
そう、その通り。
でも、どうして成功したかを考えるとき、その土壌にあるものが’日本が戦争に負けた’という事実、それによって生まれた負の要因をいかに正に変えたか、負での制約を満たす製品の開発と技術力、それを磨く力と意思。
そして何より、この先日本が進んでいくためには’外に出なければならない’という国をあげての方向性。それらすべてが成功の土壌となっているわけで、それなしに、そして本田宗一郎なしに、Hondaの成功は語れないと、そう思うわけです。

でも、そうゆう日本人の心情的な部分は、あまり海外の人たちにはわかってもらえないのかな。それともそんな湿っぽい精神的な話は、客観的な分析にはいらないのかな。

いやいや、そうではない。日本企業をCaseで取り上げるには、このことを理解したうえで話さないと、意味がないと、やはり強く思うわけです。

戦争に負けて、国土機能不全の状況は一見かなしくも無残な感じがするけれど、実は日本経済の発展ということを考えると、大きくプラスに働いていたと思うし、またプラスにするだけの技術力と努力、労働力があったからこそと思うわけです。

高度経済成長がいったん落ち着いた頃に生まれたわたし、それでも経済はこのまま拡大していくんだという雰囲気の中で生まれ育った20代までの記憶は鮮明に残っています。その経験を少しでも同じクラスのみんなに伝えたいと思ったけれど。。それこそDiscussionする価値があるんじゃないかと思ったけれど。。

いやいや、まだまだ、機会があるごとにDiscussionしていきたいと。
思うわけです。本田宗一郎さま。

1 件のコメント:

eiji さんのコメント...

戦後のすさまじい逆境というものが、多くのアントレプレナーを生むきっかけになったのだと思います。

そして今現在もまた、この時代とは全然次元は違うものの、大きな転換期にあると思います。がんばりましょう。